大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成8年(行ツ)5号 判決 1996年12月06日

長野県南安曇郡豊科町大字豊科五〇〇番地

上告人

日本電熱株式会社

右代表者代表取締役

大井孝允

右訴訟代理人弁理士

小川信一

野口賢照

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 荒井寿光

右当事者間の東京高等裁判所平成六年(行ケ)第一三八号審決取消請求事件について、同裁判所が平成七年九月二六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小川信一、同野口賢照の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、本件発明が進歩性を欠くとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

(平成八年(行ツ)第五号 上告人 日本電熱株式会社)

上告代理人小川信一、同野口賢照の上告理由

原判決は、誤った証拠を採用し、以て判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。

Ⅰ、原判決の要旨

原判決で、本願発明が進歩性を有しないとした理由の要旨は次のとおりである。

「本願明細書及び乙第一号証の各記載によれば、寝具や畳類、採暖具自体にダニ等の害虫が発生すること、そしてその害虫を駆除しようとする課題は、本願出願当時においてよく知られた事項であり、害虫駆除のために種々の方策が講じられていたことが認められる。

引用例一及び乙第二号証の各記載によれば、ダニ等の害虫は高温に対してきわめて弱く、発熱装置を用いて必要時間加熱すれば駆除することができるものであることは、本願出願当時において周知の事項であったと認められる。

よって、採暖具におけるこのような加熱手段・態様を、採暖具自体に発生する害虫の駆除に活用しようと想到することは、当業者にとって格別困難なこととは認められない。

審決の説示には若干説明不足の点が存することは否めないが、相違点の構成につき当業者が容易になし得る程度であるとした判断はその結論において誤りがあるとは認められない。」

つまり、原判決では本願発明が進歩性を有しないと判断した証拠として、本願明細書の発明の詳細な説明中の〔従来の技術〕と題する箇所の記述と、特許庁の審判手続において審理の対象とはならず、原審に於てはじめて提出された証拠(乙第一号証、乙第二号証)を原判決の判断証拠として採用した。

Ⅱ、上告理由第一点

原判決では、「本願明細書の発明の詳細な説明中の〔従来の技術〕と題する箇所には、「最近、採暖具では温水パイプや電気ヒータ、その他の発熱素子をパネル、カーペット、敷物あるいは畳等に配設して、採暖を行なうようにしたものがある。従来、屋内の床面等に敷設して用いられている採暖具の周辺、上部または内部には害虫の発生がある。屋内の塵中の害虫は適度な湿度や温度により繁殖する。・・・これらのダニは化学的駆除方法として、・・・薬剤を用いて駆除される。また、物理的駆除方法としては、マイクロ波や高周波を利用した誘電加熱駆除方法がある。その他の駆除方法としては繁殖・生息部又は被処理体を日干しにする方法によって害虫を駆除している。」(甲第二号証一欄一九行ないし二欄一二行)と記載されていることから、採暖具自体に害虫が発生すること、その害虫を駆除することが周知の事項であることは、本願公告公報の一欄一九行ないし二欄一二行の上記記載から明らかである。

この点について原告は、本願公告公報の上記記載は、公知、周知の技術として記述しているのではなく、あくまでも本願発明の動機、出発点の説明として記述し、それによって本願発明の理解を容易にし、かつ正確にしてもらうために出願人自身がその技術知識として理解していたことを述べたにすぎず、上記記載の従来技術は公知事項でも周知事項でもない旨主張する。

しかし、上記記載は発明の詳細な説明中の〔従来の技術〕と題する箇所に記述されているものであり、その内容及び乙第一号証の前記記載に照らしても、上記事項が周知であることを前提として記述されているものであることは明らかである。」と判断し、本願明細書の発明の詳細な説明中の〔従来の技術〕と題する箇所の記載を重要な根拠の一つとして判決をなした。

しかしかゝる判断は次の理由から失当である。

即ち、明細書中で従来の技術として記載した事項が周知事項であると判断できる根拠は次に示すごとくどこにもない。

以下その理由を述べる。

一、原判決では、甲第二号証(本願の明細書)の発明の詳細な説明中の〔従来の技術〕と題する箇所には、「最近、採暖具では温水パイプや電気ヒータ、その他の発熱素子をパネル、カーペット、敷物あるいは畳等に配設して、採暖を行なうようにしたものがある。従来、屋内の床面等に敷設して用いられている採暖具の周辺、上部または内部には害虫の発生がある。屋内の塵中の害虫は適度な湿度や温度により繁殖する。・・・これらのダニは化学的駆除方法として、・・・薬剤を用いて駆除される。また、物理的駆除方法としては、マイクロ波や高周波を利用した誘電加熱駆除方法がある。その他の駆除方法としては繁殖・生息部又は被処理体を日干しにする方法によって害虫を駆除している。」(甲第二号証一欄一九行ないし二欄一二行)と記載していることをもってかゝる「従来の技術」は周知の技術であると判断した。

しかし、本願の明細書で従来の技術として記載したのは、あくまでも本願発明の動機、出発点の説明として記述し、それによって本願発明の理解を容易にし、かつ正確に把握してもらうために出願人自身がその技術知識として理解していたことを述べたにすぎないのである。

つまり、本願発明を浮き彫りにするために対比技術として記述したものである。

ちなみに、明細書の発明の詳細な説明の欄で従来の技術の記載を求めているのは、あくまでもその発明を正確に、かつ容易に理解するために要求しているのであって、公知、周知事項のみの記載を求めるものではないし、またその必要性も全くない。

それゆえに、本願明細書に於て、「従来、・・・駆除していた」と記載し、「従来・・・駆除することが公知、周知であった」とは記載していないことからも明らかである。

よって甲第二号証に記載の従来技術は公知事項でも周知事項でもないのである。

二、ここで、「従来、・・・している。」との記載における「従来」の意味については辞書には次のごとく述べている。

<1>.岩波国語辞典(第四版)

以前から今まで、これまで。

<2>.広辞苑(岩波書店、第二版補訂版)

以前から、在来、これまで。

つまり、「従来」の意味には公知、周知でなければならないとの記述はどこにもない。これらの辞書から「従来の技術」とは、「これまでの技術」、「以前からの技術」ということになり、その技術は出願人自身だけが認識していたそれまでの技術を除外するものではないことは明らかである。

三、特許法施行規則には「従来の技術」については単に、「従来の技術に関する文献が存在するときは、なるべくその文献名も記載する。」とあるだけであって、公知、周知事項だけを記載せよとは述べていないし、出願人自身だけが認識していた技術を除外するものでないことは明らかである。

四、要するに、明細書で「従来の技術」の記載を求めているのは、あぐまでも本願発明と「比較する技術」を述べさせることにより本願発明の技術内容を明瞭にし、浮き彫りにし、かつそれを正確に理解しやすくするためだけのことであり、本願発明との関係における「比較技術」、「相対技術」の開示を求めているだけであって、それがあくまでも本願発明の出願前に公知、周知であったもののみを記述しなければならない必要性も必然性も全くない。

五、さらに、出願明細書は出願人が自らの意思で自由に記載するものであり、その記載内容の訂正は訂正時期に制限はあるものの自らの意思で訂正できることも明らかである。

つまり、明細書の内容は出願人の意思を出願人自らが表現したものであるから、出願人自らがその表現した意味内容はこういうものであると表明した場合、これを否定し得る根拠はどこにもない。

たゞ、「明細書の〔従来の技術〕の欄には、その出願前公知、周知の事項を記載すること」と法律により規定してあればいざ知らず、そのような法律がどこにも存在しないときに、たゞ“感じ”だけで、また従来公知、周知の技術を記載されるものだという漠然たる先入観だけをもって、その出願内容について最も熟知し、その内容の説明を自らしている出願人の意思を無視して法的根拠もなく出願人の権利を奪うことは許されるべきではない。

かゝる観点からも、「従来の技術」は公知、周知の技術だけを示すとする解釈は認められるべきではない。

以上のことから、明細書中で「従来の技術」として記載した事項を公知、周知事項と判決が即断した点に大きい誤りがあり、かゝる誤りを前提とした判決には明らかな法令の違背があるというべきである。

Ⅲ.上告理由第二点

特許庁における審決後であって、東京高等裁判所に係属中に被告が新たに提出した証拠である乙第一号証および乙第二号証を原判決の重要な根拠として採用した点に明らかな法令の違背がある。

特許庁のなした審決の取消訴訟は、審決時における判断の是非が問われるものであるから、それ以降に提出された判断資料は取り入れるべきではない。

それは、特許庁における審判において、審理の終結以降は証拠の提出が認められていないところ、もしその後の裁判で新たな証拠の提出を認め、それを採用することになると、特許庁における証拠の提出期限の制限の趣旨は没却される点からも不当というべきである。

ところが、原判決では乙第一号証の採用について、(なお、乙第一号証は審判手続において審理の対象とされていないが、上記のように、本願出願当時における技術水準を認定するための資料として用いることは何ら差し支えないものというべきである。)とか、(なお、乙第一号証は、審判手続において審理の対象とされていないが、上記周知事項の認定につき、引用例一を補充するにすぎないものであるから、本訴において認定資料とすることは何ら妨げられるものではない。)と追記して乙第一号証を採用した点の釈明をしている。

つまり、乙第一号証は本願明細書の従来の技術の記載事項の補助証拠としてこれを採用することは何ら差し支えないとのことであるが、前記上告理由第一点で主張したように、本願明細書の従来の技術は公知、周知の技術ではない以上、判決で、「本願明細書及び乙第一号証の上記各記載によれば、寝具や畳類、採暖具自体にダニ等の害虫が発生すること、そしてその害虫を駆除しようとする課題は、本願出願当時においてよく知られた事項であり、害虫駆除のために種々の方策が講じられていたことが認められる。」とした判断根拠から「本願明細書」の字句が消え、乙第一号証のみの存在によりかゝる判断をしたことになる。

そうすると乙第一号証は補助証拠ではなく、判断を左右する唯一の主たる証拠となることになり、かゝる新たな、主たる証拠としての採用は違法というべきである。

また乙第二号証も乙第一号証と同様に審決後提出した新たな証拠であるにもかかわらず、乙第一号証についてはその採用について釈明しているのに、乙第二号証については何らの釈明もしていない。

乙第二号証も乙第一号証同様審決後に提出された新たな証拠である点で差異がないにもかかわらず乙第二号証を採用した点について何ら釈明がなされないのは不可解というほかない。

いづれにせよ、新たに提出された乙第一号証および第二号証を原判決に直接影響を及ぼす証拠として採用した点に明らかな法令違背があるものというべきである。

Ⅳ.むすび

以上のごとく、本願発明を拒絶するための重要な要件であるところの「寝具や畳類、採暖具自体にダニ等の害虫が発生すること、そしてその害虫を駆除しようとする課題および方策が周知であったこと」を立証するものと前審で判断したところの「本願明細書の従来の技術の欄の記載」および乙第一号証が、共に証拠として採用すべきでないこと明らかである以上、それら証拠を前提として「寝具や畳類、採暖具自体にダニ等の害虫が発生すること、そしてその害虫を駆除しようとする課題および方策」は周知であるとしてなした判決には明らかな法令の違背がある。

つまり、原判決は本願出願前、公知でも周知でもない証拠を間違えて公知、周知の証拠として採用し、それを根拠として本願発明は特許性を有しないとし、また特許庁の審決時には審理の対象としなかった新たな証拠を判決の重要な根拠として採用した原判決には明らかな法令の違背がある。

以上

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